日本僑報社 『知られざる「潍県収容所」』緊急出版へ 安田浩一氏執筆

第二次大戦中、日本軍が中国につくった欧米人監禁施設の実態を日本で初めて明らかにする新刊『知られざる「潍県収容所」―日本軍が中国につくった欧米人監禁施設の実態』(仮題)が、ジャーナリスト安田浩一氏の執筆により、日本僑報社から刊行する運びとなった。11月から発売予定である。

日本軍が中国につくった欧米人監禁施設の実態、日本で初めて明らかに

『知られざる「潍県収容所」』緊急出版へ

 

 

 

日本僑報社9月14日の発表によると、第二次大戦中、日本軍が中国につくった欧米人監禁施設の実態を日本で初めて明らかにする新刊『知られざる「潍県収容所」―日本軍が中国につくった欧米人監禁施設の実態』(仮題)が、ジャーナリスト安田浩一氏の執筆により、日本僑報社から刊行する運びとなった。11月から発売予定である。

 

第二次大戦の勃発後、米国政府が在米日系人を強制収容所に隔離したことはよく知られた事実である。しかし日本もまた、占領地域であった中国で欧米人を拘束し、「敵国人収容所」に強制収容したことはまったく知られていない。

 

日本は中国各地に強制収容所を設置したが、そのひとつが「潍県(ウェイシン)収容所」である。同収容所は1942年、現在の山東省潍坊市につくられた。宣教師やビジネスマン、外国人学校の生徒など約2千人の欧米人が「敵国人」として拘禁され、自由を奪われていたのである。

 

収容者のなかには1924年パリ五輪の金メダリスト(陸上400メートル)エリック・リデル(英国人)、後に米国の駐中大使となるアーサー・フンメル・ジュニアなど、著名人も少なくなかった。

 

だが、収容所の存在は長きにわたり、日本において語られることはなかった。そればかりか、戦後、収容所周辺は市街地として発展を続けたこともあり、当の中国でさえ、その記憶は薄れつつあった。

 

そうしたなか、元収容者を中心に、いま、事実と経験を後世に伝えるべく動きが出ている。今年8月、収容所跡地において「収容所解放70周年」の式典が行われた。これを機会に著者は現地を訪ね、日本人としては初めて、多くの収容者、関係者に取材した。

 

収容所のなかで、いったい何があったのか。人々は何を思ったのか。そして、どのような形で「解放」を迎えたのか。いま、知られざる「潍県収容所」の実態が本書によって明らかとなる。

 

安田浩一は、1964年静岡県生まれ。『週刊宝石』(光文社)、『サンデー毎日』(毎日新聞社)記者などを経て2001年よりフリーに。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)、『ヘイトスピーチ』(文春新書),『ネット私刑』(扶桑社)など多数。2012年『ネットと愛国』(講談社)で日本ジャーナリスト会議賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2015年『G2』(講談社)掲載記事の『外国人隷属労働者』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)受賞。

 



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