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広報が誰かのアクションを起こすきっかけに

日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行う独立行政法人国際協力機構(JICA)。JICAは「すべての人々が恩恵を受けるダイナミックな開発」というビジョンを掲げ、開発途上国が抱える課題解決を支援しています。その中で、「なんとかしなきゃ!プロジェクト」の広報を担当する五味誠一郎さんにお話を伺いました。

中南米行きの飛行機のチケットは高かった


Qまず五味さんご自身について質問させてください。もともと国際協力に興味があってJICAに入られたのですか?


高校生の頃は、サッカーとオートバイと音楽に夢中で、国際協力について深く考えたことはありませんでした。大学の時、バイト先の先輩から海外の魅力を吹き込まれ、自分もバックパックを背負って海外のあちこちを旅するようになったのです。

卒業後は、一般企業に就職したのですが肌に合わず…(笑)。25才の時、JICAの海外開発青年(現・日系社会青年ボランティア)という制度で中南米に行きました。バックパッカー時代、中南米にも行きたいと思っていたのですが、飛行機代が高くて行けなかったんですね。これはチャンスだと思い、会社を辞めて、ボランティアとしてブラジルに行くことを決めました。日系移民の方たちと、日本の文化や伝統をどうやって守っていくかを考えたりしているうちに、ブラジルが大好きになってしまい、永住も考えるほどでした。

 

Q日本に戻られたあとは?


ブラジルに戻りたいと思っていろいろ活動しているときに、JICAがポルトガル語で採用試験を行っていることを知ったのです。現在では試験は英語のみですが、当時は各国の言語で試験を受けられたんですね。落ちたとしても、ブラジルで学んだポルトガル語の力を試せるいいチャンスだと思い挑戦してみました。ポルトガル語人材があまりいなかったのか(笑)、幸いにも合格。JICAの職員になりました。

 

QJICAで最初に配属されたのは?


pr_interview_jica_data_image4国内事業部に配属されて、留学生の受け入れをやっていました。当時はまだ留学生を受け入れる大学が少なかったり、英語で受けられる授業が少なかったりしたので、広げていくのが面白かったですね。そこには1999年から3年携わりました。
その後は本部の中南米部というところで、ブラジルやアルゼンチン、ボリビア、パラグアイといった国の事業担当を3年した後に念願の中南米の在外事務所へ行きました。
ドミニカ共和国とボリビアに駐在し、結局足掛け7年近く中南米にいました。相手国の政府機関の担当者と一緒に、国作りのどの部分をJICAと行うか議論したり、現地に来た青年海外協力隊員等ボランティアの方たちの生活のサポートをすることが仕事でした。その時に初めて、本来の業務とは別に、広報業務も担当したんです。

 

中南米で初めての広報


Q中南米での広報ってどんな感じなのでしょうか?


私がいたボリビアやドミニカ共和国だけでなく、途上国のメディア全般に言えることかと思うのですが、メディアの取材費は基本的に枯渇しています。ひどいところですと取材に行くためのガソリン代にも困っているような状態なので、記者たちが現場に自由に行けることはとても稀です。なのでJICAの現場を見ていただくプレスツアーを開くと喜ばれましたし、ほぼ必ず何かの形で取り上げていただくことができました。
ただ、速報性を重視するあまり、裏付けを取ってくれず、誤報が多かったように思います。丁寧に説明してケアしていましたが、訂正は期待できませんでしたね(笑)。

 

Q当時の広報は五味さんお一人で?


pr_interview_jica_data_image5 私と、ナショナルスタッフとで行っていました。やはり現地メディアには現地の人間が対応するのが一番です。窓口はナショナルスタッフ、打合せの時も基本的にはナショナルスタッフから話しを始めてもらい、私は適宜話に入り、方向性を調整するようにしていました。その国の人にしかわからないしきたりなど、ナショナルスタッフから教えてもらうことが多々ありましたね。
彼らの考えや意志を尊重することでモチベーションを上げ、能力や情報を最大限引き出すことが、中南米時代の広報の肝だった気がします。
実は中南米で広報業務に携われたのは、全体業務のうちのわずかだったのですが、広報の仕事に興味を持ち、日本に戻ったら本格的に広報をやりたいと思うようになりました。希望を出したら通って、2012年7月から広報に配属されました。

 

QJICA全体の広報体制はどのようになっているのでしょうか?


麹町にあるJICA本部の中に、「広報室」という独立した部署があります。広報室は「広報課」と「報道課」の2つの課に分かれて活動しており、この4月からは「地球ひろば」という市ヶ谷にある施設の運営も広報室の仕事になりました。「地球ひろば」では、広く一般の方々が国際協力に触れていただけるよう様々な展示やイベントを行っており、例えば修学旅行生の皆さん等が訪れています。今回の組織改編で広報室は地球ひろばの運営を行っている「地球ひろば推進課」とあわせると21名の大所帯になりました。

広報課は、テレビや雑誌などのメディア、ホームページやSNSで一般の方向けに情報を届ける一般広報。報道課は新聞やニュースメディアなどを通じオピニオンリーダー層に私たちの活動をより知っていただくための専門広報です。

また本部だけでなく、先程お話したような在外の事務所にも広報担当者が必ず一人はいます。

 

Qかなり大規模な広報体制ですね。JICAは国の機関ですし、認知度も既に高いですが、それでも広報が必要な理由ってなんでしょうか?


pr_interview_jica_data_image2 まずJICAの認知度ですが、おかげさまで最近は皆様に名前を憶えていただけるようになってきました。2013年に行った調査で1500人弱の対象者から得た情報では、私どもの名称(JICA)自体の認知度は73.4%でした。

ですが、「何をしている組織なのか」という具体的な内容についてはもっとご理解いただけると思っています。JICAではボランティア派遣、資金協力、技術協力など幅広く手掛けています。いわば国際協力のデパートみたいな状況になっている中で、時代に合わせて、「JICAはこのような活動も行っている」ということをハイライトして伝えることも、広報の役割だと思っています。
何より我々の活動のほとんどが、国民の皆様からの税金で成り立っています。なので皆様が、自分が払っているお金が何に使われてるか知りたいと思った時、すぐにわかるような体制を整えておくことは広報の責任であると思っています。

 

プロジェクト名が知られるだけでは意味がない


Q五味さんが現在ご担当されているのは?


私は広報課に所属していまして、在外や14カ所ある国内機関の広報予算管理、マスコミとの調整、番組制作の窓口などの業務を行っています。また、現在、私の業務の6割くらいは「なんとかしなきゃ!プロジェクト」(以下、なんプロ)で占められています。

発展途上国は多くの課題を抱えています。それを一人でも多くの方に知ってもらい、その解決をめざす国際協力の必要性を社会全体で共有していきたい。そんな思いを共有する人、団体などで進めるのが「なんとかしなきゃ!プロジェクト」です。

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Qなんプロでの五味さんの業務は?


なんプロが取組むテーマの選定や、イベントの企画運営、ホームページの内容検討、FacebookなどSNSの投稿、なんプロメンバーとして活動しているNGOやNPOとの調整、著名人の方々との関係構築などを行っています。

 

Qなんプロの広報の成果指標は?


指標の一つとして、なんプロのSNSの登録者数などの数値データも見てはいますが、それだけでは成果と言えません。なんプロの知名度を上げることも重要ですが、結果としてメンバー団体に良い影響が及ばなければ意味がないからです。各メンバー団体やなんプロのホームページを見てくださった方に、どのようなアクションの変化があったかの事実例をストックしていき、成果指標とすることが重要だと思っています。

 

Qそもそも「なんプロ」ができたきっかけってなんだったのでしょう?


pr_interview_jica_data_image1 2003年から2007年に、JICA職員が中心となって、47都道府県で「ピーストークマラソン」というイベントを行いました。途上国で技術移転に関わってきたボランティアや専門家の方たちが、一般の方々に向けて自身の活動や途上国の様子を伝えるイベントです。イベントをより多くの人に知っていただくため、国際協力に理解ある著名人の方たちにも関わっていただくようになりました。
各団体や著名人の方々とのせっかくできたつながりが、ピーストークマラソン一度だけで終わってしまうのはもったいないねと。一般の方たちに、途上国の現状や、そこで頑張る日本人の姿を広報していく必要があるのではないかと議論されました。そこでもう少し継続的にアクションを起こしていこうということで生まれたのがなんプロだったのです。

 

 

誰かが一歩を踏み出せた声を励みに


Q実際に行動に変化があった人のエピソードがあれば教えてください。


青年海外協力隊に行く方たちが日本で合宿をしていた時に、なぜ協力隊に行こうと思ったのか聞いたことがあったんです。その中に、「なんプロのホームページを見たのがきっかけです」と答えてくれた人がいました。

また、高橋尚子さんがインドネシアでマラソン教室を開く際にオーガナイズしてくれた青年と話していたら、「僕は高橋さんが行っている日本の子どもたちが履かなくなった靴をアフリカに持って行く”スマイルアフリカ”という活動を知り、『こんなキャリアがあるんだ』と考え、青年海外協力隊に参加しました」と言っていました。国際協力に一歩踏み出すきっかけになった高橋さんにこんな形で会えて驚いたと話していました。

あとはクラウドファンディングに挑戦中のメンバー団体をなんプロのFacebookページで紹介したら、応援してくださる方が増えたという声を聞いたこともあります。なんプロでメンバー団体を知って、興味を持って「いいね!」をしていただく。そんな小さな一歩でも踏み出せたという話に、非常に励まされています。

 

Q最後に、五味さん自身の今後の目標について教えてください。


pr_interview_jica_data_image3 今思えば、私が初めてJICAの名前を知って、活動に興味を持って行動した最初の一歩が、その後の人生の大きな実りとなったのも、当時のJICAの広報活動があったからだなぁと。

なのでJICAの存在、国際協力や国際交流の重要性、また実は意外と楽しいことでもあるんだよといったことを、一人でも多くの方に伝えられる広報の仕事には非常にやりがいを感じています。でも組織の人間なので、いずれは異動することになるかとも思います。ただ広報担当ではなくなっても、常に広報パーソンの意識を持って臨みたいなと思っています。

広報の重要性については、今までの仕事でも意識をしてきたつもりですが、この仕事をするまでは、「人に伝える」ということを心の底からは意識していなかったように思うのです。広報のど真ん中で仕事をした今なら、今後何かプロジェクトを手掛けるにしても、「人に伝える」という観点を忘れずに仕事をしていけると思っています。JICAには複雑な事業や難しい単語もありますが、よりわかりやすく、より共感できるように、「あの人がやっていること、言っていることってわかりやすいよね」と言われるようになるのが目標ですね。

 

(取材日:2014年4月23日/撮影:菅井 淳子)

五味 誠一郎氏

企業名
独立行政法人国際協力機構
部署・役職
広報室 広報課
設立
2003-10-01
所在地
東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル
URL
http://www.jica.go.jp/
プロフィール
1970年生まれ。大学では社会学を専攻、海外旅行にはまる。一般企業に就職後、1996年に独立行政法人国際協力機構(JICA)のボランティアプログラムでブラジルに。1999年9月よりJICA職員。

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