指導教師と受賞者が語る、受賞できた日本語作文はこのように書いた

4月25日、日本僑報社は指導教師の照屋慶子先生と教え子たちの感想文を配信した。朱さん、金さん、照屋先生という個人が一人一人の人間として付き合い、理解しあう。その小さな積み重ねが大きな異文化間の相互理解、日中の交流に繋がっていくと感じた。

指導教師と受賞者が語る、受賞できた日本語作文はこのように書いた

4月25日、日本僑報社は指導教師の照屋慶子先生と教え子たちの感想文を配信した。朱さん、金さん、照屋先生という個人が一人一人の人間として付き合い、理解しあう。その小さな積み重ねが大きな異文化間の相互理解、日中の交流に繋がっていくと感じた。

 

特別掲載、「中国人の日本語作文コンクール」「安田奨学生」と私/照屋慶子

 

朱杭珈さんは「私は照屋先生の誇りになりたい」と、金夢莹さんは「将来、照屋先生から学んだ教育の神髄を学生達に伝えたい」と言った。

作文コンクールに応募する2人の作文を添削、指導した。安田奨学生の応募用紙への記入も添削、指導した。

2人と一緒に作文コンクールに挑戦した。作文コンクールで2人とも3等賞を受賞した。2人とも安田奨学生にもなった。作文コンクールを通して築いた2人との揺るぎない信頼関係、絆は(私にとっての)現在、過去、未来という「時」を超えた。中国と日本という「地」をも超えたと確信している。

作文コンクールが私に与えてくれた物は私の未来である。これから、日中の架け橋になって両国の交流に貢献、活躍する学生達(人材)を育てられた事は教師冥利につきる。彼女達は自分自身の人生もキチンと生き抜いていく力がある。

私は彼女達に育ててもらった。作文コンクールから得たものの一つである。

朱さん、金さん、照屋という個人が一人一人の人間として付き合い、理解しあう。その小さな積み重ねが大きな異文化間の相互理解、日中の交流に繋がっていくと感じた。彼女達と作文コンクールに挑戦したお陰で、以前の偏った考えも修正できた。

彼女達の活躍を見聞きする楽しみで私の未来は明るくなった。今、作文コンクールと2人から与えられた第二の青春の中だ。

未来への楽しみと喜びで満ちている。

日本僑報社の「中国人の日本語作文コンクール」のますますのご発展を願っている。

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※朱杭珈さんの感想文――「私と中国人の日本語作文コンクールと安田奨学生」朱杭珈

お母さん、私…安田奨学生選考に合格した!」

水の流れる声しか聞こえない静かな午後はある呼び声に静けさを破られた。

日本語読めない母が安田財団からのメールを見ている姿は心に焼き付けている。

作文コンクールのおかげで、安田財団と会えた。安田財団のおかげで、心の奥に置いている夢は蘇られた。

作文コンクールとの出会いはまるで昨日のことのようだった。4年前、照屋先生から作文コンクールのことを聞いた。最優秀賞受賞者は日本1週間の招待がある。3等賞以上に入ると安田財団奨学生選考に出られる。奨学金があれば親に苦労させなくても日本へ留学に行けるだろう?正直に言うと、最初はこういう条件で作文コンクールに興味を持ってきたが、ただの私の片思いだった。

なぜなら、作文コンクールはなかなか私のことに気に入られないのだ。2年間作文コンクールに応募し続けたが、全部彼に断われた。最初は悔しいと思った。書いた作文は受賞した友達(金さん)よりよく先生に褒められたのに、なぜ私が落ちた。照屋先生の話によると、金さんは一日10何回くらい作文を書き直していた。何回も面白くないと言われた後、素晴らしい作文ができた。たぶん作文コンクールは金さんのような『七転び八起き』のタイプが好きだと分かった。作文コンクールに好かれるようにもっと頑張らなきゃと決心した。こうやって、作文を書くことにも日本人の中国語先生になる夢を追いかけることにも根性ができた。お父さんは友達の保証人になって、うちはたくさん借金ができて3年間付き合ってきた彼氏に振られた時もちゃんと起きた。

借金のため、留学の夢は一応寝かせなきゃと思った時、作文コンクールはなんかやっと私のことに好きになってくれた。3年目、やっと3等賞受賞した。やっと安田財団さんと会えるようになった。作文コンクールへの最高の告白は安田財団さんに私のことを採用することだ。3年間作文を添削してくれた照屋先生に最高の恩返しは自分の夢を叶えることだ。日本語との物語を漫画の形式で描いて、安田財団さんに見せたかった。安田財団さんに私が皆さんへの感謝の気持ちを感じさせたかった。就職されたため、あまり描く時間はなくて、トイレでも食事するときも一生懸命描いていた。照屋先生はいつものようにいろいろ応援してくれた。いつものようにいろいろアドバイスをしてくれた。

安田財団さんと会った日、意外に落ち着いた。安田財団さんの前で日本語や照屋先生や作文コンクールとの物語を語った時の私はすごく幸せだった。神様は私に不幸を与えた時、私に皆さんと会わせてくれた。面接終わってからの毎日、『私に日本に行かせてください』と神様に願っていた。そして、神様が聞いてくれた。

作文コンクールさん、照屋先生、聞いているの?あなた達のおかげで、私は奨学生に合格した!安田財団さん、日本語読めない母があなたからのメールを見ている姿はこの一生も覚えていく。あなたのおかげで私はまた夢を実現する道に出ていった。皆さん、これから何回転んでも起きるから、いつか絶対夢を叶えて見せるから、元気で待ってね。

※2017年3月11日、受賞の報告で片山上海総領事との記念写真by段躍中

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※金夢莹さんの感想文――「私と中国人の日本語作文コンクールと安田奨学生」金夢瑩

一昨日、照屋先生からメッセージが送ってきた。「私と中国人の日本語作文コンクールと安田奨学生」をテーマに作文を書いてくださいという内容だった。引っ越しでヘトヘトになり、書きたくないなぁと思いながらも、はいはいと返事してしまった。大人になったかな。

思うと既に3年前の話だ。大学2年生だった私が、照屋先生に作文の指導を受けていただいて、第10回中国人の日本語作文コンクールに挑戦し、三等賞を受賞した。受賞者には、安田奨学財団の奨学生面接資格が与えられるので、運良く合格の結果も得た。うちの日本語学科では全国大会で賞を取った人は誰一人いなかったため、受賞した後、作文コンクールの経験について後輩たちにいろいろ聞かれた。「私にとっては悲惨な道程だった。作文コンクールに出るなら覚悟してね」と冗談を言うつもりだったが、なぜかあの子たちはすごく真剣な顔をして聞いていた。

第10回作文コンクールの募集要項に作文のテーマは二つあった。「ACGと私」、それに「公共マナーと中国人」だった。テーマを一つ選んで書くのが普通かもしれないが、私の場合、確か二つのテーマに三つか四つの作文を書き、何回も何回も添削を入れた。どうしても賞が取りたいとか、作文が趣味だとかの理由で書いたわけではない。私には面白さを伝える才能が欠けていた。それを認めたくなかった。負けたくなかったからだ。つまらないから読まないと、作文を丸ごと戻されたり、原稿用紙に書き直しては先生のところに持っていったりした。恥ずかしくも辛くも思わずに、ただただいい作文を書きたいとねばった。

作文コンクールと出会って分かったことは二つある。一つは、私という人は、先生の言うように、勉強にだけは素直だ。日本語が話せなかったら話せるまで話す。作文が書けなかったら書けるまで書く。二つ目は、照屋先生という先生は、多分、私のことを我が子のように教え育てていたのだ。親子みたいな日本人の先生と中国人の学生が中国の各地にいることは後で北京の授賞式で知らされた。

初めての北京行、初めてのスーツ姿に初めての面接、それが日本語作文コンクールからの贈り物だった。高速電車に乗って6時間、ワクワクの心が収まらず、授賞式と面接はまるで照屋先生との北京旅行のようだった。面接の日、駄目元のつもりで会場に入ったら、逆にあるがままの自分を出して、気楽に面接官の方々と歓談できた。こうやって作文一つで奨学生になれるとはなかなか少ないのだということも後に東京の奨学生懇親会で知らされた。

日本に来てから半年、新しい挑戦がどんどん現れてくる。それでも毎日気負けせずに、生活と学習をこなせてこられたのは、私を支えてきた日本僑報社と安田奨学財団の方々、それに私の成長を見守ってくださった照屋先生のおかげだ。

日本語は日本語を楽しむ人に大きな幸せを運んでくれる。それを実感しつつ、多くの人に伝えたい。

 

 



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