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記者という職業は、新聞社に入らなくても始められる

2010年、郵政不正事件に伴う大阪地検による証拠改竄をスクープし、新聞協会賞などを受賞した板橋洋佳さん。17歳で記者を志し、栃木県の地方紙で経験を積み朝日新聞へ。権力の不正などの調査報道に取り組む板橋さんにお話を伺った。

Q板橋さんが記者になられたきっかけを聞かせてください。


17歳で記者になろうと決めました。父の存在が大きく影響しています。父は栃木県の足利市で縫製の下請け会社を経営していました。子どものころ、よく父の職場に遊びに行きました。そこには、洋服の型を切り抜くプロ、ミシンのプロとたくさんの人がいて、何かの道を究めている人は格好いいなと感じていました。そうした人から、自然とコミュニケ―ションを学んだ気がします。父はプロの方たちが働きやすい環境を整え、職場を盛り上げていると、子ども心に感じていました。

その父が、癌で亡くなりました。17歳のときです。家庭の雰囲気、生活、大黒柱を失ったことで暮らしは一変しました。失ってようやく父の存在の大きさを知り、なぜもっとたくさん話をしなかったのか、と思うようになりました。「人は死んだら話ができない」。そんな当たり前の事実を突きつけられました。同じころ、中学の恩師に薦められ、元朝日新聞記者の本多勝一氏の『殺される側の論理』などの著書を読んでいました。もちろん父は殺されたわけではありませんが、「奪われた」という感覚があった当時の私にとって、随分と共感を覚えながら読み、「たくさんの人と話をしてその記録を残したい」と考え始めていました。

そのぼんやりとした思いが記者になりたいという志に変わったひとつが、本多氏の著書の中の言葉です。「記者という職業は、新聞社に入らなくても始められる。問われるのは仕事の内容だ」という趣旨のコラムでした。私は17才を「記者ゼロ年」と位置づけ、プロの記者になろうと決めました。それから、ジャーナリズムに関する本をたくさん読み始めました。

 

Q最初に大手新聞社ではなく、栃木県の地方紙である下野新聞に入社されたのはなぜですか?


大学時代、母も癌であることが分かりました。母の癌は進行し、具合は芳しくありませんでした。看病しながら働きたいと思い、地元の新聞社を希望しました。母は私が入社から半年後の1999年秋に亡くなりました。なぜ地方紙に、とよく聞かれますが、先ほどの本多氏の言葉にあるように、記者に問われるのはどの組織に所属しているかということよりも、「仕事の質」だと私は思っています。

地方紙は、地元に古くから根ざしてきた新聞だからこそ、取材相手と記者との距離は近いのです。そこで、地域に徹底して寄り添う取材姿勢を学びました。朝日新聞では、先輩記者や同僚、後輩たちと一緒にチーム取材をする中で、取材に関するさまざまなメソッドやスキルを学び、自身の取材力をいかに高めるかということを考えています。

 

Q下野新聞時代も栃木市議による選挙ポスターの水増し請求や知的障害者の誤認逮捕・起訴などの不正をスクープしていますね。


入社1年目に取り組んだ選挙ポスターに関する不正は、調査報道の基本動作を実践できたという意味で、記者人生の原点としている体験です。2000年のことでした。私にとっての調査報道とは、権力(社会に影響を及ぼす力を持った人・組織)による不正を、関係者の証言と客観的な証拠によって証明することです。評論や主張ではなく、事実の積み重ねで証明するこのフレームは、大阪地検の証拠改竄をはじめどの調査報道にも通じるものです。

選挙ポスターの件では、「選挙ポスターの費用は、地方ではもっと安くなるはずだ。無駄遣いじゃないか?」という、ある市議の話が取材を始めたきっかけでした。立候補者が街頭に貼るポスター費用は自治体が税金で賄うという仕組みがあり、上限は約80万円でした。私はいきなり議員のところに行くのではなく、印刷業者から取材を進めました。業者によると、ポスター費用の相場は20~30万円とのこと。

この時点で、選挙ポスターは上限いっぱいで請求されていたので、40万円水増し請求されている可能性がありました。しかし、まだ推測の域を出ませんから、次のプロセスとして選挙ポスターの作成を実際に請け負った業者、さらに水増しの疑いがある市議を誠実かつしつこく訪ね、水増し請求を認める証言や決定的な客観証拠である偽の領収書を入手しました。こうして、発端となった「無駄遣い」という主張を、関係者の証言と客観証拠に置き換えて不正を明らかにしました。

 

Q真実を追い続けるモチベーションになっているものはやはり正義感でしょうか?


正義感というおおげさなものよりは、職業に対する情熱だと思います。それぞれの職のプロがそれぞれの道を究めるように、記者としての道を究めたいと考えています。本多氏の著書にはじまり、これまで多くの先人のジャーナリストの本を読んできました。戦場のルポ、犯罪被害者の現状を訴えるもの、大事故の背景を探るものなど、そうした本には彼らのできうる限りの取材結果が記されています。それがモチベーションとなり、私自身を突き動かしています。

 

Q朝日新聞に入ったきっかけと、今担当されている分野について教えてください。


下野新聞で7年間積み上げたことを一度リセットして、ゼロから再挑戦することで自分を鍛え直したいと思い、2007年に朝日新聞に入りました。大阪社会部や東京社会部を経て、今は特別報道部に所属しています。記者は約30人。それぞれが自分のテーマを持って、調査報道をする部署です。

 

Q特別報道部で印象に残っている取材は?


福島第一原発の影響を多角的な視点で連載する「プロメテウスの罠」で書いた二つのシリーズですね。大阪地検の証拠改竄をともに手がけた野上英文記者と一緒に取材にあたりました。一つ目のシリーズは、原発事故を巡り、米国政府が日本政府の対処をどう評価し、日本政府に対し水面下でどう動いていたのかということを掘り下げました。もう一つは、自衛隊の特殊部隊が原発の事故を受け、その地で具体的にどのような極秘作戦を展開していたのか、彼らの葛藤や思いを絡めながら詳しく伝えました。

 

Q板橋さんが人間関係を築きたくなる広報の方がいるとしたら、どのような方でしょうか?


神戸総局の記者時代に出会った大手ホテルの広報担当の方が印象に残っています。その方はホテルのことだけでなく、神戸のまち全体について議論ができる方でした。例えば、どうしたら神戸がより魅力的なまちになるか、阪神大震災を経験した神戸市民がほかの被災地に対してできることは何か。会社の発展だけを考えるだけでなく、より大きな視点で話をしてくれました。有益な情報をたくさん持ち合わせ、その上で一緒に議論ができる方だと、何度もお会いしたくなります。そうして良好な関係が構築されていくのだと思います。

 

Q今後はどのようなスクープをとりたいですか?


スクープや一面トップを書くことがゴールとは、捉えていません。何か魔法の取材テクニックがあるわけではないので、愚直に、泥まみれになって、社会の仕組みが良くなる記事を書いていきたいですね。書いた記事が、社会に良い影響を及ぼしていると少しでも感じられたら、やっと喜べると思っています。その意味で、不正を明らかにすることと社会が良くなることが、一致するのが理想です。ただ、そう簡単ではないのが現実です。

例えば、栃木市の選挙ポスター水増し請求事件を受けて、栃木県は全国で初めて選挙ポスターの上限金額を引き下げる条例を改正しました。しかし、こうした見直しの動きや選挙ポスターを巡る議論は、報道した当時、栃木県以外では起きませんでした。大阪地検による証拠改竄事件から3年経っても、いまだ捜査手法を見直す法改正までにはいたっていません。

それでも、こうした状況に気持ちをそがれてはいけない。「変わるかもしれない」というパッションを持ち続けて立ち向かえるかどうかが、私に問われているのだと思っています。

 

(取材年月:2014年2月)

板橋 洋佳氏

媒体名
朝日新聞

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