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もともとは新聞への不信感から、新聞について考えるようになりました

毎日新聞社で東京本社編集編成局長を務める小川一氏。1981年の入社以来、横浜支局長、東京本社社会部長、販売局次長、コンテンツ事業本部次長、「教育と新聞」推進本部長など様々な立場で活躍され、現在は新聞の革命に挑む小川氏にお話を伺いました。

Q小川さんが新聞記者になられたきっかけ・動機について教えてください。


もともとは新聞への不信感から、新聞について考えるようになりました。
私の生家は京都にありまして、祖父母は生花の家元でした。小学6年生の時です。ある新聞社から「京都の伝統産業のホープである子どもたちを取材したい」という依頼が舞い込みました。実際は生花なんてやったことなかったのですが、ちょうど手頃な年齢だということで、私が取材を受けることになったのです。

新聞記者の来訪に我が家は大騒ぎ。記者をお迎えした離れの稽古場に、ズラリとお寿司やビールを並べまして、いわゆる接待が始まりました。そんな中でインタビューされたのですが、お酒が入っていることもあって、子どもの目から見てもいい加減な取材でした。

後日新聞を見たら、私の紹介文に「成績はオール5で、運動会ではトップクラスで人気者で…」と話してもいない美辞麗句が書かれていたのです。親は大喜びしていたのですが、私はとても複雑な気持ちで。学校に行ったら案の定、同級生たちに「運動会でトップじゃないし、成績もオール5じゃないじゃないか」とからかわれました。先生にも「小川、おまえ新聞記者にこんなウソ言ったのか」と笑われ、まさか「新聞記者が勝手にウソを書いた」とは言えず…。

記者は良かれと思って書いたのでしょうが、書かれる方にはまたちがう気持ちがあるということを身をもって知ったのです。

京都大学では教育を専攻し、教師や心理学のカウンセラーになりたいと思っていた時期もありました。けれど子ども時代の体験もあり、自分は書かれる側の立場に立った記事を書きたいと思い、就職活動時には新聞社を志しました。

 

Q数ある新聞社の中で毎日新聞を選ばれたのは何故でしょうか?


私が新聞社を目指していた時、毎日新聞はつぶれるんじゃないかと言われていました。けれども記事を読んでみると、非常に面白いのです。今でこそ署名記事は当たり前ですが、当時の新聞といえば客観報道第一で、記者個人のことを出すなんて言語道断のような時代でした。

そんな風潮の中で、毎日新聞だけが「記者の目」など記者の顔がわかる記事を書いているのです。また「宗教を現代に問う」など思い切った企画もやっている。新聞記者になるのなら、毎日新聞のように大胆な紙面作りをする新聞社で伸び伸びやりたいと思ったのです。

 

Q87年2月から90年3月まで警視庁捜査一課、三課を担当されていますが、どのような事件の取材をされたのでしょうか?


三人の「M」を前線で追いかけていました。「M」というのは、連続幼女誘拐殺人事件の“宮崎勤”、オウム真理教の“松本智津夫”、ロス疑惑の“三浦和義”の頭文字をとってそう呼んでいます。私にとっての三大事件です。

松本智津夫の単独インタビューをした時のことは忘れられません。坂本堤弁護士一家殺害事件にオウム真理教が関わっているのではと疑われている時でした。教団はその事件についての取材は一切シャットダウンしていましたが、なんとか単独取材を取りたかった私は一計を案じました。宗教論争に関するインタビューになら乗ってくるのではないかと考えたのです。

年末の特集でいくつかの宗教を取り上げる企画があったので、宗教哲学について取材をしたいと申し出たら、教団側は期待通りに応じてくれました。

静岡の教団施設に赴き、教団員10人に囲まれた状態で松本智津夫を取材。坂本弁護士一家の件については絶対に聞くなと釘を刺されていたのですが、もちろん聞かないわけにいきません。事件のことを少し口にした途端、10人が一斉に立ち上がり怒りだしました。
今思えば10人の内ほとんどが死刑囚。あの時私がいた部屋の下には死体が埋まっていたのです。殺されてもおかしい状況ではなかったと考えるとゾッとしました。

 

Q社会の問題、宗教の問題、心の問題…非常にたくさんの記事を手がけてらっしゃいますが、最も印象に残ってらっしゃる記事は何でしょうか?


一番つらかったという意味で印象に残っているのは、89年4月に発覚した事件。綾瀬で女子高生が拉致され、レイプどころではなく、体に火をつけたり、傷つけたり…一ヶ月間暴虐の限りを尽くされ、最後はコンクリート詰めにされた事件です。あんなにも悲惨な事件はなく、判決文も涙なくしては読めません。

その事件が一番、私は気の毒で申し訳なくて、本当に失敗したなと思っています。当時、新聞に被害者の顔写真を載せるのは当たり前とされていました。被害者は綺麗な子で、どの新聞にも実名と顔写真が載せられました。反対に犯人の少年たちは匿名で。そして新聞各紙は、被害者の女子高生が少年たちにどんなひどいことをされたのか、競うようにして記事にしたのです。

被害者の御霊に何をしているか気付かなかった…。女性団体から抗議の手紙をいただいた時も、恥ずかしいことに何がいけないのかわからなかったのです。少し経って「報道と人権」を考えた時に、なんということをしてきたのかと…。

一方で、こんな経験もあります。松本サリン事件の冤罪報道の被害者である河野さんと、あるシンポジウムで一緒にパネリストをやらせていただいたことがありました。会場からはマスコミ批判の声。その時に河野さんがこんなことをおっしゃいました。
「確かに私はマスコミに犯人にされそうになりました。けれどマスコミがいたから警察は逮捕できなかった。私はマスコミによって傷つけられましたが、マスコミによって守られたのです」

救われた気持ちでした。報道とは?人権とは?これからも問い続けなければいけない問題だと思っています。

 

Q事件の話は聞いているだけでも辛いですね…。嫌になることはなかったのでしょうか?


もちろんたくさんありました。記者は取材相手よりも高いテンションを持って臨まないと言葉を聞けません。大切な方を亡くしたご遺族と話す時、絶望の淵にいる方と話す時、自分のエンジンを常に全開にして向かい合わなければならないのです。

心身ともにヘトヘトに疲れ切り、その上プライベートで子育てに追われていた時は、パンク寸前で記者を辞めてしまおうかと思いました。けれどその時に、ご遺族の記事を描いていて、自分の悩みがバカらしく思えてきたのです。そして、つらい状況にいる方の声を世の中に伝えるという自分の使命を思い出しました。

今は立場上、現場に出る機会はほとんどありませんが、時々現場に戻りたいと思うこともあります。現場に立つと、肌でその場の風を感じ、匂いを感じ、DNAが変わっていくような気がするのです。

 

Q事件記者をやっていた時、企業の広報の方との関わりはありましたか?


事件記者の時はほとんどなかったのですが、横浜支局長や東京本社社会部長時代は、企業の方とのおつきあいが多かったですね。広報側としては、不祥事の時に攻めてくる社会部の記者と付き合うのは嫌でしょうが(笑)、社会部の記者のことを知らないと、危機管理の時に失敗することもあります。どんなに優秀な人でも、記者会見でブスっとした表情でいると、それだけで叩かれることもあります。

不祥事の対応で感心したのは、あるホテルでボンベが爆発した事件。広報担当者は、押しかけてきた記者たちをまず現場に入れて、ホテル側が現時点で把握している事実と、わからないことについて丁寧に説明してくれました。その後この件に関する担当者を置いて、報道側とホテル側の連絡体制を整えてくれたのです。人を待たせない、こちらが求めていることに丁寧に応えてくれる。対応全てに誠実さや誠意が見える方は、広報として優秀だと思いました。

普段から付き合いのある広報の方が、不祥事の対応に追われていた時、記者会見のアドバイスをしたこともありました。たとえば記者会見の発表時間は11時にした方が良い。会場には記事にしやすい発表文を刷って置いておいた方がいいなどですね。民放は11時半の放送に間に合わせたいので、発表文があればそれを持ち返って記事にするので、記者会見が延々と延びることがないとされていました。

 

Q最後に、今後どのような情報発信・コンテンツ作りを目指していきたいですか?


今までは「自分たちだけが大切なことを世の中に伝えられる手段を持っている」という意識を持って新聞を作っていましたが、そうした新聞のひとりよがりの時代は終わったと思っています。現代は記者が現場に駆け付けるより先に、一般市民の方が撮った写真がTwitterにアップされ反響を呼ぶ時代です。報道に携わる人間だけでなく、全員が記者でありカメラマンなのです。

これからはみなさんの力を借りて新聞を作る。みなさんの情報の価値を高めるお手伝いをするという発想に転換し、報道を考えなければならないと思っています。

そうした意味で、毎日新聞が目指すのはイギリスの新聞『ガーディアン(The Guardian)』です。ガーディアンは一般に向けて取材予定を公開し、取材して欲しいことをTwitterで募集するなど、読者とリアルタイムに繋がり、皆の知恵と力を借りた紙面作りをしています。

また、国を揺るがすようなネタを入手した時、自分たちだけの特ダネにしていたら権力に負けてしまうと、世界中の有力紙にも情報を渡す。
ジャーナリズムの魂を持ち、インフォグラフィックスを用いるなど多種多様な表現方法で記事を作り、SNSを巧みに操る優秀な記者がいるガーディアンは理想の新聞ですね。

また、販売局次長、コンテンツ事業本部次長を務めてきたそれぞれの経験を生かし、今は紙とデジタルを融合したコンテンツ作りに挑んでいます。毎日新聞では2013年12月より紙面ビューアーサービスを始めました。新聞を愛読してくださっている方は、追加料金なしにデジタル端末で紙面を閲覧できるのです。地方版の新聞も無料で全てご覧いただけるサービスで、会員登録数は初日で1万人を超えました。

今のところは無料サービスですが、記者一人一人が力をつけ、有料になっても読みたいと思ってもらえるようなコンテンツを作っていきたいですね。紙とデジタルをうまく共生させながら、読者の皆様に有益な情報を届けていけたらと思っています。

 

(取材年月:2013年12月19日)

小川 一氏

媒体名
毎日新聞

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