陳平マラヤ共産党書記長と文銘権北カリマンタン共産党主席:棺を覆ってなされた書記長評価と、存命中の主席の評価

日本マレーシア学会(JAMS)関東地区研究会※入場無料・登録不要※2014年1月11日(土)15時~18時/立教大学池袋キャンパス5号館1階5126教室/発表者:原 不二夫氏(南山大学元教授)コメント:松村 智雄氏(東京理科大学非常勤講師・東京大学大学院総合文化研究科学術研究員)

日本マレーシア学会(JAMS)関東地区研究会※会員非会員問わず、入場無料・登録不要※

2014年1月11日(土)15時~18時
立教大学池袋キャンパス5号館1階5126教室
題目:陳平マラヤ共産党書記長と文銘権北カリマンタン共産党主席:棺を覆ってなされた書記長評価と、存命中の主席の評価
発表者:原 不二夫氏(南山大学元教授)
コメント:松村 智雄氏(東京理科大学非常勤講師・東京大学大学院総合文化研究科学術研究員)

概要:
 1947年以来マラヤ共産党を率いてきた陳平(Chin Peng)書記長(本名・王文華Ong Boon Hua. 1924 Sitiawan生れ)が2013年9月16日に亡くなった。1948年以来の武装闘争を終始指導し(61年以降は中国から)、89年12月の和平協定締結・党活動停止後も党の最高指導者であり続けた人物の死は、当然のことながら国家の動向を左右するものではなかったが、遺灰の帰国を認めるべきか否かをめぐってさながら国論を2分するかのような状況を生んだ。他方で、その指導力をめぐる元同志の改めての評価の声はほとんど報道されなかった。ここでは、どのような人々が遺灰帰還に反対し、どのような人々が遺灰帰還容認を説いたか、それはマレーシアのどのような状況を反映しているか、陳平書記長とマ共の役割についてはどのような評価が伝えられたか、などについて触れたい。
 一方、サラワク解放同盟(1953年結成)、その後身の北カリマンタン共産党(実質上サラワクの共産党)(公式には1965年9月19日結党)の、絶大な権威をもつ最高指導者、文銘権(Wen Ming Chyuan)主席(1932年クチン生れ)については、国外はおろか半島マレーシアでもほとんど知られていない。その歴史的役割について、あるいは帰国認可の是非について国内で一般に論じられることも、滅多にない。サラワク解放同盟の青年党員は、ブルネイにおける人民党の反乱(1962年12月)後、弾圧を逃れてインドネシア領西カリマンタンに入り、反マレーシア武装闘争に備えてインドネシア側から軍事訓練を受けていた。その指導にあたっていた文主席は、インドネシアの「9月30日事件」の直前に中国に赴いたまま、帰還できなくなり、以後中国から、恐らく郵便というか細い糸で闘争を指導した。1990年の和平協定締結後、このような指導手法に対して、また文主席が作り上げた党の体制に対して、元党員から種々意見が表明されるようになった。この論調を紹介したい。最後に、両指導者の違いについて見たい。

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企業名 立教大学観光学部舛谷研究室
代表者名 舛谷鋭
業種 教育

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