パフォーマンスアートイベント「大東亜共栄軒」いよいよ開催 東京・大塚、富山で!

前回ベニスビエンナーレのインドネシア代表アラフヤーニ女史、香港の陳式森、北京のワン・チューユ、タイのモンコル、フィリピンのミデオ、アジアの社会派パフォーマンスアーティストが一堂に会する!

「大東亜共栄軒 1」
■開催日
2006年4月28日(金曜日)午後7時 料金1500円
イトー・ターリ(日本)
三木aka陳式森(香港)

2006年4月29日(土曜日)午後2時 料金2000円
Mongkol Plienbangchang(タイ)
中島美美+田中洋平(日本)
王楚禹(中国)

2006年4月30日(日曜日)午後2時 料金2000円
荒井真一(日本)
Arahmaiani(インドネシア)
Mideo M.Cruz(フィリピン)

http://www.araiart.jp/daitoua.html
*各日ともパフォーマンスの後に来日アーティストのレクチャーと懇親会あり

■開催場所
out-lounge
〒170-0005東京都豊島区南大塚3-39-9高津ビル5階
03-3987-0087

「大東亜共栄軒 2」
■開催日
2006年5月4日(木曜日)
午後3時 料金1000円(日本以外のアジア諸国の方と高校生以下無料)
三木 aka 陳式森 (サンムー・香港)
Mongkol Plienbangchang (モンコル・タイ)
王楚禹 (ワンチューユ・中国)
Arahmaiani (アラフマヤーニ・インドネシア)
Mideo M.Cruz (ミデオ・フィリピン)

■開催場所
富山市民プラザ3階 マルチスタジオ
http://www.araiart.jp/touatoyama.html

■パフォーマンスアートとは何か? そして開催意図
パフォーマンスアートというのは日本では80年代に盛んに使われ出した
言葉で、それまでは、ハプニングとか、アクションとか、概念芸術
(の一種)と言われていたように思う。

私が上京したのは77年で、そのころの東京はアンダーグラウンドの世界
がめちゃくちゃおもしろかった。東京パンクがぐちゃっとなってオルタ
ナティブと言われ始め、フリージャズがフリーを超え即興になり、暗黒
舞踏の若手が年寄りを嫌って勝手に動き出し、詩人が叫び始めていた。
また、ダンスとも芝居ともつかない、けったいな表現が広がりつつあっ
た。

そのどれもがほとんど半端で、観客だった私も「俺にも何かできる」と
思った。結局、大学そっちのけで行っていた美学校(塾のような美術学
校)の仲間と即興パンクバンド「赤木電気」をでっち上げた。でその後、
82年日比谷野音の「天国注射の昼」というイベントに出た。これは坂本
龍一、スターリン、じゃがたらが出ているかと思えば、私らのようなの
も出て、阿鼻叫喚のイベントだった(それも真夏の昼間に)。

時代的には、そのころヨーゼフ・ボイス、フルクサス(小野洋子がいた
りした)など欧米のパフォーマンスが紹介され始めた(ハイ・レッド・
センターなど日本のハプニングも)。時代はコンセプチュアルや、クー
ルなポップアートより、情動という方向に向かっていた(ニューペイン
ティングしかり)。

そういう感じの中で、すべての名付けられないもの、カテゴライズでき
ない身体的な表現をパフォーマンスと呼び、自らもそう名乗っていた。
それはともかく、70年以降、政治運動が停滞し、縮こまっていた精神と
肉体にとって、喜びだった。実際全共闘運動はすごいものだと私は感じ
ていたし、上の世代には劣等感を感じていた。それが、違うフィールド
でがちゃがちゃやって、そういう劣等感からも自由になれた。

日本がそんな頃アジアの各地域がどうだったのかと言えば、そこでは政
治的・文化的な運動は続けられていて、日本のように分離はされていな
かったと思う。

日本では80年代後半になるとバブル景気を過ぎて、そのために物欲やス
ペクタクルなものに馴染みきり、(資本によって)ある種シャブ漬けに
なった、文化がメジャー化し、半端であっても解放的で馬鹿騒ぎのパフ
ォーマンスの時代は終わったみたいだった。

そして、象徴的なのはインデペンデントレーベルまでもがメジャー
デビューの階段になってしまったわけだ。人々は周りのゴミゴミし
た半端な表現より、完成した表現にお金を払って鑑賞し、自らは表現
しなくなってしまった。したとしても物まねのロック、「カラオケ」のた
ぐいではなかったか?

アジアの諸国で80年代後半からパフォーマンスが特異な発展を見せたの
は、文化運動(政治も含む)と密接に結びついていたからだと思う。そ
ういうかたっくるしい言い方ではなくて、コミュニティとともにあった
からだと思う。われわれの80年代初頭がそうであったように。

政治が社会を極度に支配し、貧しく、閉塞感の多いコミュニティで生き
延びるには、こちこちになった体をリラックスさせ、声を上げ、声を聞
き、緊張を解くしかない。そうやって人はやっとまともに考え始めるこ
とができる。で、なければ盗みや暴力に走るしかないだろう。

まずアーティスト自体が生き延びるために、パフォーマンスをやり、
その中途半端さゆえにフォロワーを生み、コミュニティが活性化して
いく。たとえばそれは若者だけではない。教育を受けずに生きてきた
人が自分を表現するにはどうすればいいのだろうか? 文章を書けない、
楽器も弾けない、踊りも伝統的コミュニティを喪失した都市部では、
彼らはどうやって踊ればいいのだろう。当然、そこにアメリカやら日本
やらの文化が待ちかまえているのだが、それらは決して体を柔らかくさ
せることはない。で、半端なパフォーマンスは彼らに表現の楽しさを発
見させることになったのではないか(伝統的でなく、今の歌として、踊
りとして)。

小学校に行く前の子供は、絵を描き、変な歌を歌い、ものを叩いて音
を出し、むずむずダンスのようなことを、勝手にしていたはずだ。暑
くなれば服を脱ぎ、そこらでションベンを垂らすことも平気だったはず
だ。それが世界と自分が出会う楽しさを表現していたというのは言い過
ぎかもしれない。

しかし、彼らは明らかに自由だ。大人になるとそれらをすべて禁止され
てしまうのは、人間の自然に反しているのではないだろうか?

来日するアーティストは半端なパフォーマンスを武器にコミュニティの
表現活動を活発化してきた。ワークショップもよくやる。そうしないと
コミュニティは政治と資本いう大きな力の下で硬直し、自由にものも言
えず、考えることもできなくなってしまうし、もうそうなってもいたか
らだ。そのままにすれば、人々は互いに感じ合うともなく、硬直し、金
のあるものはそれを使った快楽に走り、ないものはそれ得るために暴力
に走り、コミュニティは無気力でのっぺらぼうになってしまうだろう。

そういうコミュニティでの彼らの活動は、彼らの自身のパフォーマンス
を肥沃なものにしているし、たちはそこから多くの宝物を見いだすこと
ができると思っている

荒井真一
z@araiart.jp
〒130-0014墨田区亀沢2-5-4 #201
03-3829-0750(fax&tel)

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企業名 荒井真一
代表者名 荒井真一
業種 未選択

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