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“不思議”をとことん突き詰め、科学や技術をわかりやすく伝える

未経験な仕事も、自ら学び成長することで、雑誌、webメディア、メディアラボ、と様々な場所で活躍されてきた勝田さん。世の中を知るために物理学を学び、記者として、科学の面白さをわかりやすく伝えたいという想いを伺ってきました。

 

Q大学では物理学を専攻されていました。物理学から、どういった経緯で新聞記者になられたのですか。


私は子どもの頃から理科と新聞がとても好きでした。
物理学は、ちょっと傲慢な言い方をすると、科学的な現象や、人間の文化的な活動など、世の中で起こること全てを解き明かそうという学問です。どんなことも最終的には物理(原子、素粒子)で説明できると考えている。子どもの頃、物理のそういう一面を知って、「物理って面白いな」と興味を持ち始めました。人間の行為も含めて、自然界で起こる出来事が理解できると思って、物理を勉強するようになったんです。
新聞は、あらゆる情報源としていろんなことを知ることができてすごく楽しかった。住んでいた地域で新聞といえば朝日新聞。家で読んでいたのも朝日新聞でした。毎朝、親よりも先に、新聞の上に乗っかって読んでいました。勉強せずに新聞ばかり読んでいたので、新聞を止められたこともありましたね。

大学では映画サークルに所属するなど、映像にも関心がありました。NHKスペシャルで放送しているような科学番組を制作してみたいという思いから、NHKを受けました。また、文章を書くのも好きだったので、マスコミを目指している人たちと文章の勉強会をやっていました。その中の友人に誘われて朝日新聞を受けたんです。NHKと朝日新聞、両方から内定をいただきました。番組制作は多くの人が関わる仕事です。一方、新聞は1人でもできる仕事なので自己完結しやすい。記者のほうが身軽で、自分の世界観をつくることができると考え、朝日新聞にお世話になることにしました。

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Qこれまで様々な対象を取材されてきたと思います。それらの中で、印象に残っている取材や記事を教えてください。


大手新聞社の場合、多くの新卒は地方支局に配属されて、最初は警察を担当するんです。いわゆる”サツ回り“。いまはしっかり新入社員研修をやっていますが、30年前の研修は、3日ほど。後は勝手に自分で覚えなさいという感じでした。私の場合、最初は横浜、次は北海道、その次は雑誌『週刊朝日』の記者と、初めの6年間は、なんでも屋でしたね。

最初に配属された横浜支局で初めて書いた「保土ヶ谷の歩道橋からブロックを投げた犯人が逮捕された」という原稿は未だに覚えています。ごく短い原稿でしたが、記事を書くためにいろんなことを先輩から教わりました。なん度も警察に電話をかけて事実確認し、思い込みや推測で記事を書かないことなど、記事を書くことの重みを教えてもらったという点では、忘れられない経験です。

科学部時代に書いた「渋滞 道路だけじゃない ~アリの列、細胞の中でも起きるんです~」(2005年8月16日付夕刊)という記事も印象に残っています。
当時、つくば-東京間を走る路線バスは、上りが約1時間半、下りが約1時間と、上りと下りでダイヤが違ったんです。朝日新聞のブログに、謎解きの記事を書こうと思って取材を始めました。どこから手をつけようか考えていた時、少し前に読んだ『砂時計の七不思議』という本に、バスの(渋滞の)話が書いてあったことを思い出しました。本の著者である中央大学の先生に連絡を取ったら、「もっと詳しい人がいる」と、渋滞を研究していた東京大学 西成活裕 先生(当時、助教授)を紹介していただいたんです。

西成先生からは、「アリは渋滞する」「細胞の中では物質輸送の渋滞が病気の原因になる」という話を聞くことができ、これは面白いと思いました。物理学では、振り子の振動、濃度の変動、波の動き、こうした一見すると異なる現象を、同じ方程式で説明できることがあります。つまり、1本、横串が刺せるんです。不思議ですよね。西成先生から話を聞いた時、車の渋滞、アリの渋滞、細胞の中の物質輸送の渋滞、これは横串が刺せると思って、科学面に記事を書きました。この記事がきっかけで、西成先生は、新潮社から『渋滞学』(2007年 平成19年)という本を出版され、渋滞学という学問が誕生したんです。専門家、研究者がおこなっていた研究成果を広く世の中に紹介することができ、新しい学問が誕生するきっかけになりました。科学記者をやっていて良かった。とても記者冥利に尽きる出来事として印象に残っています。

高校野球などを取材していると、普通、負けたチームは「悔しい」と思っていると考えるわけですが、ある選手が「ピッチャーの球を見て『勝てるわけない』と思った」と言っていたことがありました。そういう本音が聞けるのは記者ならではの醍醐味だと思っていましたが、いまは高校野球の選手自身がSNSで発信できます。「記者さんはこんな記事を書いているけれど、私はそんなこと思っていないですよ。」と書かれるかもしれない。そういう時代になりましたね。

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Q科学や医療の記者というのは、理系分野の出身者が多いのでしょうか。


いま、私は科学医療部というところにいます。昔は小さな部署で、記者はほとんど理系出身でした。いまは、医療、介護の記事がよく読まれることもあって、文系出身の記者も増えました。未知の分野を取材する時に大事なのは好奇心です。それがあれば、出身学部の文系、理系はあまり関係ないと感じています。

私は、記者になった時、自分は研究する側ではなくて伝える側だというふうに気持ちを切り替えました。日本の研究者は、コミュニケーションがあまり上手ではありません。記者として、その研究内容をよりわかりやすい記事にして世の中にお伝えする仕事をやってみて、すごく楽しいですし、そこに居場所が見つかったのかなという気はします。

 

Q新聞記者としてスタートし、雑誌編集者も経験されてきました。これまでの経験は、いまの仕事にどのように生きていますか。


新聞記事の伝統的なスタイルは逆三角形(一番伝えたいことから先に書いていく)で、情報をストレートにお伝えします。一方、雑誌はストーリーで書くことが求められます。雑誌の記者の時は予備知識のない分野のテーマも突然、与えられることが多く、最初にデータベースで新聞・雑誌の過去の記事を全部調べます。さらに記者に電話して、教えてもらってからスタート。数ページの記事を急ぐ場合は2、3日で完成させます。長い原稿を最後まで読んでもらうために、最初に結論を書かないなど、いろいろな工夫もしなければいけません。『週刊朝日』で雑誌的な感覚を身につけることができたので、科学部にいて長い原稿を書く時に、どういう切り口で、どうやって最後まで読んでもらうかということを考えて書くようになりました。ネット配信した記事の反響を見ると、少し深掘りした記事、切り口を変えた記事、のほうが読まれる傾向にあることがわかってきました。雑誌編集の経験は、こうした記事を書く上でも役に立っていると思っています。

『週刊朝日』では連載小説を執筆していた小説家を担当することもありました。小説は新聞とは違う世界で、文章の書き方が違う。作家さんとの付き合いも取材とは違う。自分がつくるのではなくて、いいものをつくっていただくサポートをする仕事です。記者だけの視点ではなく、いろいろな立場の視点が必要なんだということを知ることができました。『週刊朝日』は、締め切りが厳しくて結構無茶なことをやっていましたが、楽しい経験でしたね。

 

Q新規事業開発にも携われたのですね。


『週刊朝日』の次に配属された科学部では、科学に関する記事をいろいろと書きました。1996年、大手の中ではいち早く、パソコンの2000年問題を取り上げました。電子電波メディア局(現デジタルイノベーション本部)に在籍していた時は、朝日新聞と提携しているCNNの本社があるアトランタに派遣されていました。この時期は、記者の仕事を離れ、朝日新聞のデジタルコンテンツをつくる仕事をしていました。CNNの英語ニュースを日本語に翻訳したCNN.co.jpにも携わっていたんです。しかしたまたま同時多発テロが起き、ニューヨークにも取材に行きました。

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Q今後、目指していきたいことを教えてください。


科学や技術を身近に感じてもらえるような記事を、ネットで読んでもらえるように書くことは、喫緊の課題です。2007年に登場したiPhoneなどスマートフォンの普及で情報を得る手段の主流がオンラインになり、新聞という媒体の影響力やブランド力が低下してきました。ネット情報やネット世論を新聞が後追いすることも珍しくありません。ネットのコミュニティはハードルが低く、ハードルが低いところにみんな流れます。そこにちゃんと出ていかないとなかなか従来メディアとしては難しいなという感じがしています。

私はオンザジョブで、いろんなことを経験して、やってはいけないこと、こうするべきだ、ということを身につけることができました。取材をして記事を書くことは、自分自身がそのことに詳しくなり、たくさんの発見があるので楽しい。新しい学問ができるきっかけにもなりました。新聞、雑誌、webメディア、メディアラボ、これまで関わってきた様々な経験を次世代の記者たちに伝えていくことで、ソーシャルメディアでも読んでもらえるような面白い記事を発信できるようになればなと思っています。

メディアラボの室長補佐やソーシャルメディアエディターという仕事もしていたのですが、「ネットが分断を加速する」という話をよく聞きました。ネットの中でも特にソーシャルメディアは、意見や価値観の近い人たちだけが集まる情報空間をつくりがちです。そんな「エコーチェンバー」(またはフィルターバブル)に入ってしまうと、自分の意見に近い人の意見にしか触れなくなったりしてしまいがちです。多様な意見が届きにくくなっている中、技術の力で、エコーチェンバーの中に、なんとか別の価値観を届ける手法をつくりたいですね。

 

(取材日:2019年11月18日)

勝田敏彦氏

媒体名
朝日新聞
プロフィール
京都大学理学部卒(物理学専攻)、京都大学大学院工学研究科修士課程修了(数理工学専攻)。1989年、朝日新聞社入社、主に科学記者として活躍。ワシントン駐在特派員、科学医療部次長、「メディアラボ」室長補佐などを経て、2016年12月から朝日新聞ソーシャルメディアエディター。2018年10月から、科学医療部記者。

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