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日本の新しいロールモデルとなるようなメディアを作りたい

『東洋経済オンライン』編集長の佐々木紀彦さん。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、東洋経済新報社に入社し、自動車やIT業界を担当。入社5年目に2年間休職し、スタンフォード大学大学院で修士号を取得。帰国後は『週刊東洋経済』編集部に所属。『東洋経済オンライン』編集長に就任後、リニューアルから4カ月で5301万ページビューを記録し、同サイトをビジネス系サイトNo.1に導いた佐々木氏にお話を伺いました。

Qまずは大学卒業後、記者になろうと思ったきっかけについてお教えください。


実は私は就職活動を二回やっています。最初は外資系金融機関に行きたいと思っていたのです。当時の人気業界でしたし、憧れの先輩も外資系金融に行く人が多かったという理由でした。

運良く内定をいただいて、四年生の夏休みにインターンをやりました。ところが一日目からこの仕事(例:エクセルでひたすら数字を打ち込むなど)が自分には合わないと実感しまして、内定を辞退することにしたのです。もう一度既卒の立場で就職活動をすることにした時に、自分は何がしたいのか一生の中で一番くらい考え抜きました。そこで、やはり自分は本が好きだと気付くわけです。

学生時代、往復の通学時間毎日2時間は読書に費やしていまして、小説からビジネス書、古典から哲学書まで、合計すると1000冊以上は本を読んでいました。そこで「文字を書く」「メディアの仕事」と決めて、出版社を受けることにしました。出版業界は寛容で、既卒でも受けさせてくれたので助かりました。そうして東洋経済とご縁をいただいたのです。後世に残るような書籍が作りたいと思って入ったので、配属先が記者だったのは予想外でしたが、出版社での仕事は一日目からしっくりきました。こう言うと怒られるかもしれませんが、仕事がつらいと思ったことはないですね。完全に趣味と一致しているので。天職だと思っています。

 

Q入社されて5年目にスタンフォード大学大学院に留学されたのはなぜだったのでしょう?5年目というと、仕事も脂が乗ってきた時期だと思うのですが、葛藤や不安はなかったのでしょうか。


脂が乗ったと言っても、まだまだペーペーだったので大したことなかったです(笑)。今考えても20代で留学しておいて本当に良かったと思います。20代というのはまだ蓄積もないですし、全部投資に使える時期だと思うのです。

留学しようと思った理由は二つありました。一つは学生時代に竹中平蔵ゼミで授業を受けていた時、先生の教え方が本当に天才的で。ハーバードやコロンビアでも教えた方だったので、世界最先端の教育というものはどういうものか肌で味わいたいとずっと思っていました。

もう一つは、大学二年の時のサマープログラムで、一ヶ月間スタンフォードで英語の講習を体験したんですけど、その時の生活が楽しかったのです。なのでいつかここに学生として戻ってきたいという思いがありました。その二点ですね。

でも一番大きかったのは、会社自体が留学に対して寛容だったということでしょうか。私以外にもコロンビアやハーバードやケンブリッジに留学している方たちがいます。一年留学したらキャリアが断絶されてしまうとか、現場から怒られるということはない会社です。まあ、二年も休むような図々しいヤツは僕くらいでしたけど(笑)。

 

Q留学する前と後で、記事の書き方や仕事に対する姿勢で変わったところはありますか?


視点が増えましたね。アメリカに留学するというのは、出身地の福岡から大学進学のために東京に出てきた時の感覚と似ているような気がします。高校時代までは福岡の視点しか持っていなかったのが、東京に出てきて二つの視点でものを見られるようになり、留学したら福岡、日本、アメリカの三つの視点で物事を見られるようになりました。三つの目を持つと、何かを作る時の組合せが自由自在になります。比較をするときもすぐに欧米の例を出してきて、これとミックスできないかなと考えたり。料理するための材料が一気に増えた感じですね。

また知識面で言うと、国際政治を学んだことで自分の中の考えが重層的になりました。
取材をしていても面白いなと思う方は、帰国子女か留学経験者が多いのです。その理由を考えると、日本とは違う、多様性のある空間に2年以上いると、メンタルから考え方から生き方まで、何かが変わるのではないでしょうか。それは帰国後すぐにわかるものではなく、じわじわ効いてくるものだと思います。今帰ってきて四年経つんですけど、四年経ってどんどんしみ込んできている気がします。

あとは目指すものが変わったというのが、一番大きな変化でしょうか。小さな成功ではなく、世の中に大きなインパクトを与えることを成し遂げたいという思いが強くなりました。

 

Q留学する前は記者職、留学後は編集職に就いてらっしゃいますが、両者の違いを感じることはありますか?


記者を2、3年やって、自分が記者に向いてないのは悟っていました(笑)。帰国後に編集者になって、こっちは向いているなと思いました。記者と編集者は似ているようで全然違う人種なんですよね。日本のメディア企業では、記者をやった人が編集に移ることも多いですが、そんなに簡単な話しではありません。個人的には、記者と編集をもっと明確に分けた方がいいのではないかと思っています。

どっちがいい悪いではなく、記者は職人として書きたい人で、人を斜めに見てネガティブ面を探す傾向のある人。編集者は視野が広くて、人のポジティブ面を探し、組合せによって食べていく人だと思います。

私も記事を書きますが、自分よりうまく書ける人がいたら書くのをその人に任せて、それを編集するのが合っている気がしますね。

それから、新聞社などでは、よく社会部の記者だった人が会社経営に回ったりしていますが、社会部の記者と経営は水と油でまずうまくいかないと思うのです。今までのメディアビジネスが安定していた時代はそれでも良かったですが、これから5年10年、メディア業界は激動の時代を迎えます。よほど経営のセンスがある人が真剣にビジネスを考えていかないと大変なことになると思いますね。

 

Q今までご担当された記事で、印象に残っている記事はありますか?


三つあります。一つ目は、ITネットの担当をしていた時代に作った『IT・ネット業界地図』というもの。一人で編集を担当して三カ月くらいで作りました。初めて作った本が3万部売れたのは嬉しかったですね。

二つ目が『英国と日本』という特集です。当時は安倍政権が生まれた時でした。安倍政権の政策がブレア政権のものと似ているということで、英国がやってきた政策などをうまくからめて王道の巻頭特集を作りました。イギリスまで行って取材をして、寝る間も惜しんで2、30ページ全部自分で書いて編集しました。あとは『30歳の逆襲』という記事。留学から帰ってきてすぐ作ったものです。現在の千葉の市長や、マザーハウス、グリーの方など、30歳にこんなに面白い人材がいるということに焦点を当てて作った特集です。あまり売れなかったのですが、一部の同世代の人に突き刺さって反響があったのを覚えています。

一匹狼の体質なのか、チームプレイが苦手なのか、記事は一人で作ることが多かったですね。編集長になってからでしょうか。編集部員と一緒に作る管理職的立場になったのは。

 

Q今まで仕事をしていて嬉しかったことや苦しかったことはありますか?


嬉しかったのは、自分の本を出版した時です。本を書く喜びは雑誌の制作では味わえません。雑誌はチームプレイですが、本を書くというのは、個人の裸の勝負です。全身全霊を込めて、自分の名前で徹底的に勝負するという商品なので、魂の入り方が違うのです。一冊目の本、『米国製エリートは本当にすごいのか?』が世に出版されて、しかも売れた時は本当に嬉しかったですね。自分でいろんな本屋を土日に回って、30店舗くらい地道に営業をしに行きました。

今回出版した『5年後、メディアは稼げるか』は、ゴールデンウィーク前に突如書きたいなと思い立ったのです。自分も含めて、メディア界、ビジネス界への知識がないことに気付き、こんな本があればいいなと思いまして。連休中に10日間熱海のホテルに缶詰になって10万字書き上げました。その後二カ月かけて推敲していきました。

この本は、広くは売れなくても、業界の方に突き刺さればいいなと思っています。

苦しかったというか、怒られた思い出は、最初に『会社四季報』の記事を書いた時です。あれってみんな50社くらい担当させられて四半期に一回書かなきゃいけないものなのですが、最初に担当した時に、新人なのに「疲れたなー」と思ってデスクでビール飲んでいたんです。そしたら当たり前ですけど上司に怒鳴られたっていうのが一番怒られた時ですかね(笑)。東洋経済は、体育会系色が極めて薄い、文化系のカルチャーですので、怒鳴られたりすることは基本的にありません。

 

Q佐々木さんが考える理想的な広報は?


最近の広報は、官僚的にルーティンを回す人が多い気がしています。企画力があって、記者と一緒に何か作っていこうという気概のある人にはあまり出会わないように感じます。ちゃんとアンテナさえ立ててれば、普通に生活していても本当にいいネタは引っかかってくるので、広報の方からの売り込みを受け入れる必要はあんまり感じない面もあります。もちろん広報の方の営業によってアンテナが増幅することはありますね。

今まで出会った中に、「こういう取材もできますけどどうですか」みたいな勧め方が絶妙だったり、社内の強固なネットワークを持っていて、社内情報に記者以上に通じている人はすごいと思いましたね。社内の情報と人脈が豊富で、記者とは別の視点を持っていてそれをレクチャーしてくれると、できる広報だなと思いますね。
ただ社内の人とつなぐだけのオペレーション的なことだけやって、何かオフレコの話がでると「書かないでください」とリスクヘッジに徹するような人は、記者にとって有難い存在ではないと思います。

 

Q今後どんなコンテンツ作りを目指していきたいですか?佐々木さんなりの視点をお教えください。


一番重視していくのは面白さと新しさです。日本の新しいロールモデルとなるようなメディアを作りたいと思っています。今起きたことを誰かに伝えるのがマスメディアだとしたら、私はもう少し自分の主張とか、自分の目指しているビジョンを打ち出して、悪い言い方をすると主観がにじみでるメディアにしたいのです。「20代から40代の若い人に受ける、オープン型で最強の総合ビジネスサイト」を作りたいと思っています。

今、経済メディアでは日経が圧倒的です。しかも我々の戦力の10倍いる。それに比類するような経済メディアをオープン型サイトとして作っていく。Webメディアの中でも新しいメディアを作っていく。日本のメディア界が変わるようなものを作っていきたいのです。

大げさに言えば、今のメディア業界をぶっ壊したいとすら思っています。ただし、壊すだけではカオスが生まれるだけですので、壊すと同時に、面白いワクワクするようなメディアを産み出すことが大切です。新しいものを作って、そちらに皆さんを呼び寄せたいと考えています。

 

Qすでに東洋経済オンラインで具体的にチャレンジされていることはあるのでしょうか?


たとえば今年8月から動画コンテンツを始めます。スライドショーも始めますし、大リニューアル第二弾を開始していきます。

偉そうな言い方ですが、他のビジネス誌サイトは意識していません。違う次元にいきたいのです。横を見ての狭い競争ではなく、世界を意識したどでかい競争をしたいのです。そうした大きな目標にチャレンジするのが、楽しくてしょうがないのです。

これから広告も動画で流したいなと考えています。テレビCMで流れているような広告費をWEBに持ち込みたいなと。テレビにはしばらくは敵わないしょうが、Webにはどういう人が視聴したかをデータで把握できるという、テレビにはない強みがありますので、そこを追及していきたいと考えています。とにかくメディア業界をかき回したい。いい意味で刺激したいのです。

 

Q新しく打ち出す動画コンテンツについて教えてください。


ジャーナリストの津山恵子さんと小島健太郎さんによる『ニューヨーク発 メディア最前線』という連載です。毎回、アメリカのメディア界における最先端のビジネスパーソンやジャーナリストにインタビューしていきます。

動画は3分が限界だと思いますが、通勤中に電車の中で見ていただくとか、電車内の動画広告の延長のように考えています。

今までの動画はYoutubeでやっていましたが、それだと安っぽく見えますし、媒体側の広告を入れることができません。ですので今回ブライトコープという、アメリカで業界標準になっているサービスを新たに導入しました。

 

Q今佐々木さんが興味を持たれているのは何でしょうか?


今一番興味を持っているのは、新しいメディアのビジネスモデルです。コンテンツうんぬんよりもビジネスモデルですね。すべては「稼ぎ」から始まります。そこさえうまく回れば、いい人材が集まり、いいコンテンツが増え、読者も増えるというプラスの循環が生まれます。いいコンテンツを作るだけではダメだと感じています。ですので、ビジネス界の素養のある方とかベンチャー企業の方とか、そういう人たちを巻き込んでいって、新しいビジネスを創っていきたい。たぶん自分の仕事の中での比重として、今後は、コンテンツ作りよりもビジネス寄りになっていくのではないかと考えています。

今、新しいメディアは、たとえばグノシーとか、メディア業界というよりテクノロジー業界から生まれつつあります。ただ、テクノロジーだけでは、面白いメディアは生まれません。テクノロジーに加えて、コンテンツを知っている人間がやった方が、本当に新しいものが生まれるのではないかという気がしています。

たとえばコルクの佐渡島さんは、講談社をやめてエージェント会社を経営していますが、コンテンツ面だけでなく、ビジネス面でも面白いチャレンジをしています。メディア業界は、ビジネス面のトライ&エラーを今まであまりやってこなかったこともあって、イノベーションの余地が溢れんばかりにあるのです。

その好例がアメリカです。アメリカも正解を生み出しているわけではないですが、日本の10倍100倍はチャレンジしているのではないでしょうか。
日本のメディアはチャレンジもしないままに、ダメだダメだ儲からないと言っていますが、正直そういう評論家みたいな話はうんざりなんです。そういう愚痴をいう暇があったら、ビジネス面でもコンテンツ面でもとにかくいろんなもの試していきたい。失敗してもそこから学べばいいのですから。こんなチャンスに溢れた時代に挑戦しないのは、もったいなさすぎますよ。

 

(取材年月:2013年8月)

佐々木 紀彦氏

媒体名
東洋経済オンライン
部署・役職
編集長

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